~入院前夜まで
6月頃からどうにも体の調子がよくない。主に腰痛があったので、持病の軽度椎間板ヘルニアが顔を出したとずっと思っていた。最寄りの、内科もやっている整形外科に行き、「ヘルニアだと思うんですけど、腰が痛くて」と訴えると、CT、MRIを撮り、その画像診断からも軽度のヘルニアということで、ヘルニアによる腰痛と診断。やっぱりかと、ヘルニアの治療をしていた。ところが休日にしっかり休養をとっても、鈍い腰の痛みは治まらず、徐々に酷くなってきている様な気もしていた。しかし、「まぁ仕事柄、腰の負担は多いだろうし、仕方がないことだろう、かなり疲労が溜まっているんだなぁ」と高をくくっていた。どうやら、それがいけなかったらしい。
その後、酷い腰痛に加え、38度の発熱をしてしまったので、会社に連絡して休ませてもらい、通院した。病院で採血した結果(採血してから結果が出るのは1週間後?)、血中の炎症反応の強さを示す指標であるCRPが通常の約100倍である11を示していた。CRPは、血中に炎症反応が認められれば上昇する指標なので、風邪をひいても数値は上昇する。しかしこれだけ高いと髄膜炎などの疑いがあるので、このまま数値が下がらず症状も変わりなかったら、大きな病院で精密検査を受けたほうがいいとの診断だった。だが、処方された抗生物質が効き、熱も下がって痛みも幾分治まったので、「ヘルニアと風邪が重なっただけかぁ」と、これまた安易な判断をしてしまった。
仕事に復帰し、整形外科に通いつつ、数日がたったころ、また鈍い腰痛が襲ってくるようになる。もちろん発熱も。再び病院で採血してもらうが、今回のCRPは前回よりは低く、7ほど。それでも高い数値なのだが、また薬を出してもらい、一応気持ちは落ち着いた。しかし今回は痛みも熱も治まらなかったため、後日精密検査を受けることを決めることになった。
7月半ば辺りから鎮痛剤と解熱剤でだましだまし過ごしてきた。腰痛は日に日に酷くなり、仕事中にも寝ているときも、移動中も鈍く腰が痛んだ。通勤時の電車内では立っていることが辛く、多量の発汗と吐き気がして、途中で降りて座り込んでしまうようにもなってきた。食事中に、同じ姿勢で食事を続けていることも辛くなった。そのときには既に発熱が酷く、毎朝・夕と整形外科から処方された解熱剤と鎮痛剤を服用していた。目が覚めるとすぐに熱を測り、38度あることを確認してから解熱剤と鎮痛剤を服用、そして体が動かせるタイミングを見計らって起床、支度して出勤という毎朝だった。この頃は痛みによって不眠状態が続いた。仕事中は鎮痛剤のおかげでなんとか耐えられたが、薬が切れたとたんに痛みとだるさが襲ってきた。次第に食欲もなくなり、休み中もずっと寝て過ごすことが増えてきた。(この年の夏休みは本当に寝て過ごした)。あまりにもひどいので、週末に通院し、前回の採血結果を聞くついでに、現在の状態を訴えることにした。この頃から、処方薬が切れたため、市販の解熱鎮痛剤で済ませていた。
整形外科の医師と相談して、精密検査を受けることに決めたのが8月。精密検査を受けるため、近くの公立の大きな病院に紹介状を持って受付をすると、その日は紹介状の宛先の先生が非番とのこと。しょっちゅう会社を休むわけにも行かないし、通院も辛かったので、代わりの先生でもいいと了承すると、整形外科に回された。持参したMRIの画像診断ではヘルニアが見られるけど、2~3ヶ月前のだから新しく撮って欲しいと言われ、紹介状にも髄膜炎の疑いもあると書いてあるのに、何でまた整形の検査なんだ?と頭をかすめるも、そのころ既に長時間椅子で座って待っていることすら辛く、精神的にも負担が大きかったため、指示に従い新しくMRIを撮ることになる。しかも、そこの病院のMRIが工事中と言う理由で池袋まで行く羽目になった。
高いお金を払い、MRIを撮影。それを持参し再び病院へ行くが、鼠径部のリンパ節が腫れているみたいだけど、やはりヘルニアじゃないかと診断された。少し頭にきたが、かなり限界が来ていたので、現在非常に辛いということを訴えると、「じゃあ内科に紹介状出しておくので、内科に行ってください、今日はもう初診は無理なので、後日またいらしてください」とあっさりと言われた。それにはさすがにショックを受けた。「・・・これって、たらい回しってやつだろうか。」そんな気持ちが頭に浮かんだ。心身ともに辛いときに、更に待たされるのは、本当にきつい。ここで体力・気力ともに限界だったので、整形外科に受診に来たおばさんの目なんか気にしていられず、中待合室の椅子で横になり、動けるようになるのを少し待ってから帰宅した。病院は自宅から徒歩で15~20分位の距離だが、歩くのも自転車に乗るものも辛かったので、初めの一回以降、タクシーで通院することにした。
後日、内科を受診しに再び通院した。初診担当医が診察し、なぜか翌日また来てくださいと言われる。翌日、別の女医が、「悪性リンパ腫ですね」と言った。何を言われたかわからなかったので「悪性ですか?」と聞くと、「ええ、悪性です」とぶっきらぼうに(既に精神的にも限界だったため、そのように聞こえたのかもしれないが)言い放った。頭が真っ白になるというのはこういうことなんだろう。冷静を装ったが、僕は明らかに動揺していたようだ。とりあえず、しなければいけないことは、と思い、家族への連絡をしたが、あとはなにも思い浮かばなかった。ただ、「あぁ自分は癌なんだな・・・」という言葉のみが頭を巡っていた。母に連絡したとき、明るい声を出したつもりだったが、実際は声が震えた。「なんかさぁ、今日病院行ったんだけど、悪性リンパ腫って言われたよ」というと、母もさすがにショックを受けたようで、函館の祖母の家に行っていたが、少しの無言の後「どういうこと?とりあえず、すぐ帰るから」と翌日には帰ってきてくれた。父も報告にショックだったようでかなりの動揺を示していた。あぁ、なんか大変なことになったなぁと、僕の頭は既に現実逃避を始めてしまっていた。
ぼうっとしながら、家でPCをつけて悪性リンパ腫について調べると、治癒というものがなく寛解と再発を繰り返すらしい。それだけで僕は気が滅入ってしまった。治らないものほどたちの悪いものはないなぁ、と。
翌日、ちゃんと話を聞くため、父と叔母が病院へ付いてきてくれた。そして、内科女医から、翌日に血液内科の診察があって、そちらの方がより詳しく分かるので、そちらでもう一度受診してくださいと言われた。この日帰ってきた母と父と一緒に翌日の血液内科外来を受診に行った。
血液内科の非常勤医は精力的な医師で、可能性はないとは言えないが、手元にある資料からは悪性リンパ腫との結論は出せない、でも通院で検査を続けるには負担が大きすぎるし、かなり大変な状態にあるから、僕のいる病院で検査入院をして早く病気を特定しようと、提案してくれた。それから、「もうちょっと頑張ろう」と言われ、この日もう一度、血液検査とCT撮影を行った。この時点で、腹部や肺の映像、検査結果から、医師の専門ではないが、精巣癌の可能性もあり、この癌は進行が早く本人は食事も摂れていない、痩せて体力も落ちているからとにかく病気の特定を早くしようと言い、翌日なら即入院できるようにすると約束してくれた。
入院する前日、夕方には仕事帰りに彼女が来て励ましてくれた。入院当日も、休みなので一緒に病院に行きましょうと言ってくれる。本当ははっきりと病名が判るまでもなく、重病だと判った時点で彼女に別れを言うつもりだった。付き合い始めて半年も経っていないし、これからいつ治るとも、治るかどうかも分からない病人と一緒にいることは彼女にとって負担でしかないから。しかし、そんな僕の気持ちを察したのか、僕が口を開く前に言われてしまった。「変なこと言わないでよ」。彼女の優しさと、自分がなぜこんな目にあわなければいけないのかという気持ちで、不意に涙が溢れてきた。人前で泣いたのは久しぶりだ。
※はっきり言って、癌の可能性を診断された辺りは記憶が薄い、逃避と言うやつだろうか。だから、周りにいてくれた人たちの言葉を参考に書いています。